「京都検定」というものがあると聞きます。京都”通”度合いを認定する検定だそうです。
もし仮に、10年近く京都を訪れたことが無い私が、観光ガイドを読み込み、過去問対策を頑張って検定に合格した場合、私は 「京都通」 になったのでしょうか。
京都に住んでいる方々に一笑に付されるでしょう。
「一体お前は京都の何を知っているというのだ」 と。
文化遺産の匂い、裏道の雰囲気、祭りの熱気、住んでいる人の気持ち・・・そういったことを知らずに検定だけ合格しても、京都通になれるはずがありません。
しかし、これと全く同じ事が、中学受験の世界では当たり前のように行われています。
中学入試の理科問題は、目で見て触れられる身のまわりの自然科学から出題されます。
「身のまわり」とはいえ、物理・化学・地学・生物から成る極めて体系だった、高度な学習内容です。きっちり学習した子は、おそらくそれだけで一生、自然科学の基礎教養には困らない知識量になるはずです。
こういった内容を学ぶ時、子供達はまず塾で「先生の話」で知り、自宅で練習問題をこなすことで「覚え」て、テストでヌケモレを見つけ、過去問対策で合格点に仕上げます。
塾の先生は過去問の研究にいそしみ、子供達に熱心に対策授業を行います。
しかし一方で、授業中何度も登場するカシオペヤ座を一緒に見ることはしませんし、基礎の蒸留実験ですら授業中にやってみせることはありません。
出題者である中学の先生は、きっとこう思っているに違いありません。
「君は自然科学の何を知っているというのだ。」 と。
ほとんどの受験生にとって、理科は机に座って出題問題のパターンを覚える教科となっているのが現状です。「理科は暗記」と断言する先生も多くいます。
「短時間で、効率的に得点に結びつけるためには、全部丸ごと覚えてしまうのが近道。(お互い)楽に近道して、合格をもらいましょう」 というわけです。
「アサガオの葉で作られたでんぷんを調べる手順→湯・アルコール・水・ヨウ素液」で○がもらえます。でも実際にやると、アルコールが美しい緑色に変化することで葉緑体がアルコールに溶け出たことは容易にわかるし、アルコールから出した葉がカチンコチンになっていて(脱水)、このままヨウ素液に入れてはいけないことも直感的にわかります。
「酸素をたくさん含んだ血液→動脈血・鮮やかな赤」でOKですが、実際に血液に酸素をふきこむと、色がみるみる間に美しい朱色になってきて、普段目にする血液とは違う物のように感じて印象深いものです。普段採血されるのが静脈血だったのだ、と色で気付きます。
「木を乾留→【木ガス】【木タール】【木酢液】【木炭】」で×にはできません。しかし実際に乾留すると、一生忘れることのできない強烈な匂いにおそわれます。くさい木ガスは燃やしてしまうのが一番。木酢液も強烈な匂いです。
受験では塩酸は「刺激臭」と答えることを覚えれば正解になります。でも本当は、鼻が痛くなるし、目からも涙が出るし、むせるし、散々な目にあって危険であることが分かります。同じ刺激臭でもアンモニアや酢酸とは全く別です。
いわゆる「五感」を使った学習は、とても強烈で印象深いし、何より面白くてワクワクするのです。子供達はそれを「勉強」とは捉えていないと思います。
とはいえ、テキストに書かれていること1個1個を全部を見て、体験して、実験するなどとは、10年前までは理想論であり、非現実的な話でした。自宅で行うには、手間暇がかかりすぎるし、第一物理・化学の実験器具は売っていません。
一部の塾では実験をやっていましたが、夏期講習中に有名な実験のごく一部のみを集中的に行う程度のオプションでした。
この勉強方法に疑問を感じた私達は、7年前にアルファ実験教室を作りました。
理想論を現実にしようと思いました。
実現したかったのは 「テキストを全部まるごと実験する」 こと。
非効率かもしれないけれど「自然科学の学び方を本来あるべき姿に戻す」 こと。
一見遠回りに見えるこの方法が間違っていないことは、
アルファの卒業生達の活躍ぶりでも感じられます。
ほとんどの子は「理科がよく分かって好きになり」、
多くの子は「理科が得意になり」ます。
理科が成績を引っぱってワンランク上の志望校に入れる子も多いですし、
中学に行っても理科系部活に入る子もとてもたくさん見てきました。
足繁く京都に通い、歩きつめて身につけた知見と、問題対策で得た知識。
どちらも京都検定では合格できるかもしれませんが、
どちらに価値があるか・・・考えるまでもありませんね。
「問題演習を繰り返してパターン暗記」するか、
「1つ1つ本物を見せて実験」するか。
どちらも合格点に届くことはできるでしょうが、
どちらが価値のある勉強方法なのか・・・考えるまでもないでしょう。
中学受験というのは、
どのようなプロセスで勉強をしたら良いのか、
親が子供に「学び方」を教える機会でもあるのです。
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